蜷川幸雄さんの功績を、「身毒丸」藤原竜也さんのエピソードを中心に振り返る
演出家の蜷川幸雄さんが
他界されたとの報道が、
なされました。
蜷川幸雄さんは
2015年の12月中旬に軽度の肺炎を患い入院、
その後も予定されていた作品
「蜷の綿」の稽古が延期されるなど、
体調が心配されていました。
世界的に評価されていた蜷川作品
さて、
蜷川幸雄さんといえば、
現代日本舞台演劇において、
顔といっていい人物でした。
前衛的な現代劇から
シェークスピアにいたる古典劇まで
レパートリーの幅は広く、
その演出は常に驚きをもって迎えられ、
生で芝居を見る喜びを
観る者に与えました。
また海外でもその評価は高く、
藤原竜也さんのデビュー作となった
1997年の演出の舞台「身毒丸」は、
そのロンドン公演の際に、
初舞台とは思えない圧倒的な存在感を放つ
藤原竜也さんに対して、
「15歳の天才新人が現れた」と激賞されました。
蜷川幸雄さんの演出に悔し泣きをした「身毒丸」藤原竜也さん
ただ、それだけ高い完成度の作品を
作るためのその稽古の厳しさは有名で、
関係者いわく
蜷川幸雄さんの稽古のつけかたは、
「口よりも手が、
そして手よりも物が飛ぶ」といった具合でした。
特に前述の
藤原竜也さんは
芸能界デビューが
蜷川幸雄さんの舞台だったため、
そのあまりに厳しい演技指導、
繰り返されるダメ出しに
悔しさの何度も泣いたという話は
よく知られています。
吉田鋼太郎さんも蜷川作品の常連
もっともその厳しい指導を
潜り抜けることで
大成した役者は数多く、
蜷川幸雄さんの存在は
現代日本演劇界において
大きな存在でした。
近年映像分野にも進出された
吉田鋼太郎さんも
蜷川幸雄さんの
舞台の常連俳優として知られています。
さびしくなっていく日本演劇界
つかこうへいさんが他界され、
そして
蜷川幸雄さんが、となりますと、
日本の舞台が、演劇が、
どんどんとさびしくなっていく感じがしてなりません。